おいもの日記

目に止まったなら見ろや!!!(どうか見て下さい)

ありったけの全裸 序

 

隣の芝は青く見える

 

自分が持ってないないものばかりに目が入ってしまい、憧れ、嫉妬する。

比較してしまうと吐き気する。

自分にも機会はあったのかな。

と人生の選択に後悔する。

 

まだ自分にちょっとでも可能性があると思ってしまっている。

本当は不可能だってわかっているけれど。

認めたくないんだろうな。

 


人とは違う風にみて欲しくて。

 


最近寒かったせいか嫌なことを思い出す。

冬に差し掛かるにつれて。決断を迫られる様で。

心がかじかんでいる。

忘れもしない大学4年の冬。

 


誰しも訪れるであろう、人生の岐路。

妥協するのか、つっぱるのか。

人それぞれいろんな感情で人生を決めるのだと思う。

自分のことを優先するのか、周りの人間を優先するのか。

理屈じゃ決められない事もあるし。

どっちが良かったなんて、その時にはわからないし。

けれど、私が思うにやっぱり理屈で決められるなら、割り切るしかないのかなって思う。

でもこれって少し冷たすぎるのかな。

自分がそうした時の未来と、そうしなかった時の未来を天秤にかけて、機会費用を考えるしかないんだよ。

そもそも天秤にかけられるものじゃないかもしれないけれど。

そんな賢く生きていって何が楽しいんだよとも思うけど。


ネクタイの締め付けは精神的にくる。

社会に締め付けられているようで。

社会に出て立派に働こうなんて、真性マゾだけだ。

 

 


都会に溢れかえってるサラリーマン達は一体どんな仕事をしてるのか想像付かない。

本当に仕事してるのか?

サラリーマンとは一体なんなんだ。

忙しい都会を、汚い都会を演出しているただのサクラに見える。

どんな目的を持って、何を想ってあんな早足で歩いてるんだろう。

一体どこに向かってるんだよ。

 

 

 

立派な社会人ってなんだ?

生産性を求めて毎日毎日同じような仕事、日々を過ごすのが立派なの?

戦争で死ぬ事が立派なことと同じようなこと?

立派なことは本当に偉いの?

偉いと何かいいことあるの?

 

別に俺は立派じゃなくていい。

 


去年は色々な心境の変化、周りの変化があってひたすら悩み続けていた。

そんな時に助けられたのは音楽だ。

音楽は自分を突き動かしてくれる。言葉ひとつひとつに想いが込められていて、心を揺さぶられる。

自分と同じように悩んで、苦しんで綴られた歌詞に自分は1人じゃないんだなと心を撫で下ろす。

しかし同時に自分の悩みなんてちっぽけで、ありふれているんだと酷くがっかりする。

こんなにいるのかよ。

ただでさえありふれた、なんの特徴もない人間なのに。

それでもやっぱり聴いてしまう。

なんだかんだ寂しがり屋なんだ。

 

 

最近訳あって、地上に出ようと決意した。長いこと地下での生活をしてきたから、久しぶりの外の空気は全身を巡り吐き気となって出てきた。

やっぱり身体が拒絶反応を起こしてる。それでも吐き気を堪えて精一杯地上の人になりきってみた。時間が経つにつれ身体は慣れてきた。側から見たら立派な地上人だ。

しかし不意にそんな自分を客観視してしまい、猛烈な吐き気が襲う。

 

何もかもやめてしまおうか。

 

何度も思った。

 

地上じゃ当たり前かもしれないが、世間のハードルが高すぎる。上が見えないから跳ぶこともできず、ただ下をくぐっていた。まぁ、くぐっているという感覚すらなかったが。

 

今まで自分で決める事がなかった。

そんなんだから、いざ自分で決めた時、無性に不安になる。

 

合ってるんだよ。正解なんだよ。おめでとう。

 

そう言う人と、本当にそれで良いのか?

 

と言ってくれる人がいた。

 

うるせえわまじで。

 

知るかよ。

 

 

 

 

なんてね?

 

 

 

これ去年書いてたやつだけど病気だろ。